みなさま、お久しぶりです。
また時間が空いてしまいましたね。
いつも大変申し訳ございません🙇
それでも読んでくださるみなさまには、感謝しかございません😭
いつもありがとうございます🙇✨
さて、本当は温めていたネタがあったのですが、それはまた別途UPするとして、昨日、叔母と久しぶりに長電話をしたので、その時のお話をみなさまにもお裾分け。
主人公の叔母は、70代後半です。
孫も5人居るのですが、とてもお元気でいて良く働き、今は娘と二人、暮らしています。
最近の叔母は、娘に韓流ドラマを無料で見れるサイトを教えてもらって、どハマりしている様子。
どうしても続きが見たくて、職場に行く車内でもつい見てしまう程なんだそうです✨
そういう情熱、素敵ですよね~羨ましい限りです💕
そう話している雰囲気は女子そのもので
「「君を幸せにするよ!」などと言うのよ❗
イケメンのあの顔でそんなこと言われたらさー❗💖😆💖」
と、そのシチュエーションにキュンキュンしている様子で、とってもハイテンション😄✨💕
私の様子を見かねて、そんな話をしてくれたのだと思いますが、ふと、ある話を始めました。
叔母は、ゴルフ場で数十年も働いているのですが、若い頃は、バスガイドをしていたんです。
背が低く、とてもかわいらしい叔母でして、歌も上手で、バスの車内で歌を歌うと、おひねりを沢山頂くことが多かったそうです。(ちなみに娘もバスガイドをやっていました)
そしてやっぱり、社内でもモテていたみたいなんですよね~😄💕
社内イチ?背の高い男性に告白されたらしく、お付き合いをしたそうなんです。
でも当時は、背の高い人と背の低い人のカップルは、なかなかこう釣り合わないように見えていたそうで、なんとなく叔母は別れてしまったそうなんです。
背の高い人が怖いと感じてしまったそうで、2~3ヵ月しか付き合っていなかったのだそう。
その後、叔母は退職をしてその方から離れ、別の人と結婚をすることになるのですが、風の噂で、彼が居酒屋さん🍶🍺を始めたと噂で聞いたそうなんです。
それでもなんとなくそのお店に行くこともなく、そのまま時が流れてしまったんだそう。。
それから時は流れて叔母が65才の頃、勤めていたゴルフ場に、背の高いお客さんが背の低い奥様を連れていらしたそうなんです。
「随分と背が高い人だなぁ」と見ていたら、「〇〇さん?」と声をかけられたんだそうです。
そこで初めて「あの時の?!」とお互いになったそうで、背の高い彼は叔母に「今度デートしよう」と話したんだそうです(嫁が居るのに😅ww)。
叔母は「いいよ~」と答えたのだそうですが、その時の彼は、体調が優れなかったから奥様と一緒に来られていたそうで、その2~3か月経過した後、亡くなったとの噂を、叔母は耳にしたんだそうです。
叔母に
「背の低い奥様を連れていたってことは、
やっぱりおばちゃんのことが好きだったんだろうね~」
と話すと
「私もそう思った~。
当時は、背が高いというだけで別れてしまったから。
もしその後続いていたら、どうなったんだろうなぁと思うよ。」
と。。。
その彼は、叔母がゴルフ場で働いていたことは、知らなかったのだそうです。
なので、神様のいたずらで二人は再会したのですよね。。👼👼👼
彼は、叔母が大好きで忘れられなかった、そして心のどこかで、また叔母に会いたいと強く願っていた、そんな気持ちが伝わってきます。。
私はその話を聞いて、涙が溢れていました。
「おばちゃん、ドラマじゃん~😭」
そして、叔母は私にこう言いました。
「今はお母さんが居て、あんたは介護をしているから、
何も起きないかもしれない。
でも、何が起きてもおかしくないんだよ。
人生何が起こるか分からない。
諦めちゃいけない、諦めたらそこで終わっちゃうんだよ。
死ぬまで絶対、諦めんなよ!」
叔母の旦那さんは、もう15年程経つのかなぁ、既に亡くなっているのですが、その旦那さんは、叔母の御父上(おじいちゃん)にお酒の楽しさを教わってしまい、結婚してからは、お酒に溺れる人生となってしまったんです。。🍶
なので結婚生活は、とても苦労されていたのだろうと思いますが、幼い頃からそんな叔父やご家族を見る限り、笑顔が溢れた素敵な家族でもありました。
当事者になると、やっぱりそれはそれで大変だったのだろうと推測していますが、なおさら余計に、
「もしその後続いていたら・・・」
と考えてしまうのだろうなぁと思います。
そして人生は、なんと上手く出来ているのでしょうね。
その彼もまた、最後に大好きだった彼女に会えて、どんなに幸せだったことだろうと思います。
本当に二人が会えて良かった。。。😢
「諦めない」と対のような言葉で「執着」という単語があります。
AIに聞いてみると・・・
執着:強く心が惹かれ、忘れないこと
とありました。
この単語、仏教やスピリチュアル界隈では、あまり良くないこととして取り上げられるように思います。
仏教界隈の「執着」をAIでは・・・
仏教における「執着(しゅうじゃく)」とは、物事や感情、自分自身に強くこだわり、とらわれてしまう心の状態を指します。
お釈迦様は、この執着こそが人間関係の悩みや生きづらさなど、すべての苦しみの根本原因であると説きました。
私自身では、「少しの「執着」があることによって願望が近付く」ととらえています。
これ、誰かがそう話されていたのですが、その時には、執着がなければ成功すら叶わず、個々に目指すそのゴールを目指して、そこに執着をするのだ、と話していたように記憶しています。
私はそれを聞いて、なんだか妙に納得してしまったのですよね、執着 = 情熱 にも近いかもしれず、確かになぁと思いまして。。。
執着をネガティブと捉えて、執着しないように心掛ける。。
でもそれ自体、意識が「執着」に向いているのと同じですからね、それであれば、いい方に考えて自身を解放した方が幸せになれる気がします。
私もミディアムになりたいとアイイスに入りましたが、ある意味執着しなけれは、ここまで長く続けてこられなかったと思いますし、だからといって、公認ミディアムなる頃には、全く「執着」の文字は消えておりました。
ゾーンに入るような、そんな感覚に近いのかな?
大袈裟に言いますが「私にはもう、このまま学ぶしか道はないんだ!!」みたいな、そんなゾーンに入っていたように思います。
でもやっぱりそれが、自身の「諦めない心」、目指したいものだったのだろうと思うのです。。
話しが長くなってしまいました。。。😓(いかんいかん💧)
みなさまも、目指しているものを何かお持ちだと思います。
それがモヤっとしていても、何故かそこに辿り着きたい、そんなお気持ちがうっすらあると思うのです。
それがしっかり見えるまで、走りきってみませんか?
もちろん、ハッキリ見えた時点で、なーんだ!と思ったら、止めるきっかけを見つける為に必要だったということになります。
そこに行きつくための道程としてご自身が学ぶ必要があって、そのお陰でしっかりと次の目標を目指す何かが作れることにも繋がりますよね😊🍀
今はぼんやりしていることであっても、一旦は、その道を進んでみることをお勧めします。
いつか分かれば良いのですから。
焦らず進めば、ゆくゆくは結果に繋がりますし、その結果によって、ご自身がしっかりと次に進む道に繋がる道が見えるはず✨🌈✨
叔母が言うように、人生は、何が起こるか分かりません。
一緒に諦めない心を持って、日々進んでみますか😊✨